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1970年の昨日、小説家であり劇作家でもあった三島由紀夫が、市ヶ谷の陸上自衛隊で割腹自殺した日で、命日です。
三島由紀夫
本名は平岡公威(きみたけ)といい、東京生まれで、東大の法学部を卒業後、官吏を辞して創作に専念し、長編《仮面の告白》(1949年)で文壇に出ました。
世の良識が不道徳、退廃とするものを、典雅な文体と構成の中に描いた作品が多いのが特徴です。

《愛の渇き》、《金閣寺》、《美徳のよろめき》、《宴のあと》や、戯曲《白蟻の巣》、《鹿鳴館》、《喜びの琴》、戯曲集《近代能楽集》などがあり、広く海外にも紹介されました。
また《憂国》、《剣》、《英霊の声》など憂国的心情からの小説があり、1968年に憲法改正を求める組織〈楯(たて)の会〉を結成し、1970年11月25日に東京市ヶ谷(市ヶ谷駐屯地)の自衛隊総監部を襲い、事成らず、割腹自殺しました。
バルコニーで自衛隊決起(=反乱)を促す演説をしましたが、自衛官達からは、昼食の時間なのに食事ができないと言う不満や総監を騙し討ちして人質に取った卑劣さへの反撥が強く、「三島ーっ、頭を冷やせー!!!」「なに考えてんだバカヤローっ!!!」といった野次や報道ヘリコプターの音にかき消されて、わずか7分で切り上げています。
三島由紀夫は、自衛官らに『諸君は武士だろう、武士ならば、自分を否定する憲法をどうして守るんだ』と絶叫していたようです。

三島由紀夫らは、戦後の象徴天皇制に否定的な見解を示していました。
特に、昭和天皇に対しては、ある時『反感を抱いている』と三島由紀夫は発言しているようです。
三島由紀夫に言わせれば、それは昭和天皇が【2・26事件の反乱将校らを厳重に処罰させたこと】、いわゆる人間宣言により、『神としての天皇のために死んだ』特攻隊隊員らを裏切ったこと、によるものです。
でも実際の自殺の原因は、自身の『老い』への恐怖であるみたいですね。
実際、三島由紀夫は、「自分が荷風みたいな老人になるところを想像できるか?」と友人に語っているようですから。

これが原因で、《豊饒の海》四部作が絶筆ままになってしまいました。
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