みなさんで雑学しましょう!
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今日は、[1808年]に間宮林蔵が樺太探検に出発した日でした。
江戸後期の北方探検家で、名は倫宗(ともむね)といいます。 常陸(ひたち)の農民の出身で、1790年頃に江戸に出て、地理学を学びました。 1799年に、初めて蝦夷(えぞ)地に渡り、翌1800年には蝦夷地御用雇となり、蝦夷地測量中の伊能忠敬に測量術を学び、蝦夷地や択捉(えとろふ)島を測量しました。 1808年に幕命により、松田伝十郎と樺太(からふと)(サハリン)を探検し、翌年シベリアに渡り、アムール川の下流のデレンに至りました。 この間、1832年に、樺太が島であることを発見した間宮林蔵を讃えて、シーボルトが樺太・大陸間の海峡を、マミア海峡と命名しました。 晩年は幕府の隠密として働き、シーボルト事件を幕府に密告し、それに関わった当時の上司である、天文方高橋景保を捕縛させて獄中死に至らしめた、と言われています。 しかし、一方で尚歯会と好意的な親交を持ち、シーボルト本人とも接触したとする説もあり、この一件に関しては、その真偽において、更なる資料の発見が待たれます。 PR |
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