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1204年の今日、十字軍がコンスタンティノープルを占領した日でした。

十字軍とは、広義には中世ヨーロッパにおける、キリスト教徒の異教徒・異端者との戦いで、狭義には11―13世紀にヨーロッパ諸国民が、キリスト教発祥の聖地パレスティナをセルジューク・トルコの占領下から解放するとして行った遠征をさします。
十字軍の遠征
1095年に教皇ウルバヌス2世は、クレルモン公会議でこの遠征を宣言し、十字架を戦士の標識と定めました。

第1回(1096年―1099年)は、隠者ペトルスの巡礼群を最初とし、次いで教皇代理アデマール司教の統率下にゴドフロア・ド・ブイヨンなどフランス騎士軍が遠征しました。
小アジアにアンティオキア公領、エデッサ伯領、1099年にエルサレム占領に成功してエルサレム王国を建設、1102年にはトリポリ伯領を建設しました。
これらを聖地四国といいます。
このときテンプル騎士団、ヨハネ騎士団が成立しました。

第2回(1147年―1149年)は、聖ベルナールのすすめで、フランス国王ルイ7世、神聖ローマ皇帝コンラート3世がダマスクスを攻めましたが失敗しました。

第3回(1189年―1192年)は、1187年にイスラム側のサラーフ・アッディーンがエルサレムを占領したのに対し、リチャード1世、フリードリヒ1世、フィリップ2世のイギリス・ドイツ・フランス3君主が出陣し、アッカー(アッコ)を臨時首府として、エルサレム王国を再建しました。
しかし、聖地奪回には失敗し、ドイツ騎士修道会が成立しました。

第4回(1202年―1204年)は聖地へは向かわず、ベネチア商人のすすめでハンガリー、ビザンティン帝国を攻撃し、コンスタンティノープルを占領してラテン帝国を建設しました。

第5回(1217年―1221年)は、フランス貴族ブリエンヌらがエジプトのアイユーブ朝を攻めましたが、敗れて全軍捕虜となりました。

第6回(1228年―1229年)は、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世が外交交渉で一時エルサレムを回復しましたが、間もなくホラズム・トルコに奪回されました。

第7回(1248年―1254年)は、フランス王ルイ9世が指揮してエジプトを攻めましたが、王自身が捕虜となってしまいました。

第8回(1270年)もルイ9世が指揮してチュニスを攻撃しましたが、王の病死で失敗し、1291年にアッカー(アッコ)が陥落して聖地諸国は全滅しました。

この間には少年十字軍(1212年)と呼ばれるものもあり、14世紀以後も十字軍は続けられましたが、オスマン帝国の興隆にはばまれ、全面的に失敗に終わりました。
しかし十字軍の結果、教皇権の失墜と封建貴族の没落により王権が伸張し、東方貿易の繁栄によりアラビア文化・科学が伝播し、西欧諸都市の勃興(ぼっこう)をもたらしました。

なお、13世紀初頭南フランスのアルビジョア派を討伐したものを、アルビジョア十字軍と呼ぶこともあります。
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