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昨日は、ドイツの作曲家であったルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)の命日でした。

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
ボンの宮廷楽団歌手の子に生まれ、才能をあてにした酒飲みの父にピアノを学びました。
のちボン宮廷のオルガン奏者C.G.ネーフェ〔1748-1798〕に作曲を師事し、J.S.バッハ、C.P.E.バッハらの音楽様式を修得し、1782年には最初の作品を書きました。
宮廷楽団でビオラ奏者として活動したのち、1792年にウィーンに出て、F.J.ハイドン、J.G.アルブレヒツベルガー〔1736-1809〕、サリエリらに学び、以後は他に職をもたず、作曲とピアノ演奏に専心しました。

《ピアノ協奏曲第1番》(1794年-1795年,改訂1800年)、《交響曲第1番》(1799年-1800年)など初期の代表作を完成させました。
一方、1798年ころから難聴に悩み、1802年に【ハイリゲンシュタットの遺書】を書きますが、この苦境を克服して交響曲史上例のない規模の傑作《交響曲第3番・英雄》(1803年-1804年)を完成させ、独自の作風を確立しました。
続く約10年間に、唯一のオペラ《フィデリオ》(1804年-1805年、改訂1806年、最終稿1814年)、《交響曲第5番・運命》(1807年-1808年)、《同第6番パストラーレ(田園交響曲)》(1808年)、《同第7番》(1811年-1813年)、《バイオリン協奏曲》(1806年)、《ピアノ協奏曲第4番》(1805年-1806年)、《同第5番・皇帝》(1809年)、《ピアノ・ソナタ第21番ワルトシュタイン》(1803年-1804年)、《同第23番・熱情(熱情ソナタ)》(1804年-1805年)、《バイオリン・ソナタ第9番クロイツェル(クロイツェル・ソナタ)》(1802年-1803年)、《チェロ・ソナタ第3番》(1807年-1808年)、《ピアノ三重奏曲・大公トリオ》(1811年)、7番から11番までの弦楽四重奏曲(1805年-1810年)など中期の作品群を発表し、ソナタ形式を完成させました。

1815年以後は、弟の子カールの後見人として苦労し、難聴も極度に悪化する中、高度な対位法、変奏曲の手法を中心とした瞑想(めいそう)的作品を書くようになり、ピアノ曲《ディアベリ変奏曲》(1819年-1823年)、《荘厳ミサ曲》(1819年-1823年)、《交響曲第9番(第九交響曲)》(1822年-1824年)、ピアノ・ソナタ第28番~32番(1816年-1822年)、弦楽四重奏曲第12~16番(1823年-1826年)が生まれました。
貴族の娘たちとの交際があり、【不滅の恋人】あての恋文が残っていますが、生涯独身で通したのでした。
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