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1969年の昨日、東大安田講堂が落城した日でした。
全共闘運動が終息へ向かった日ですね。
安田講堂落城
全共闘とは全学共闘会議の略で、1960年代半ば以降、全学連は各派に分裂し、各大学自治会―全学連という学生運動の結集の形態は、その力を失っていきました。
一方、大学の大衆化に対応しきれない、旧態依然たる大学体制のもと、マス・プロ教育の進行、学生管理強化、学費の慢性的値上げなど、学生の不満は発火点にまで達していて、フランスの五月革命などの世界的な学生反乱の動向や、中国の文化大革命にも影響をうけ、また国内のベトナム反戦運動の高揚などとも相まって、1968年―1969年に連鎖反応的に爆発しました。

無党派学生や政治活動に比較的関心の少ない学生が多数結集し、ピーク時には全国165大学が紛争状態、70校でバリケード封鎖が行われました。
この際に闘争の核となったのが〈全共闘〉で、自治会などの既存の運動組織や党派などの指導によらず、クラス、サークルなどを単位とした自発的な闘争体の連合の方式だったのです。
この形態のもと、運動を担うのは組織であるより個人的〈主体〉であるとされ、大衆団交など〈代表〉の発想をとらない直接行動様式がとられるとともに、大学当局のみならず、自らの倫理性が問い返されて、「自己否定」や「自己変革」などが問題とされました。

東大全共闘、日大全共闘が有名で、東大ではインターン制度などの医学部教育体制の改革要求に端を発し、日大では20億円の使途不明金問題をきっかけとして、激しく闘われましたが、1969年1月に学生が立てこもっていた東大安田講堂が、機動隊との攻防で【落城】したほか、全国の大学で警察力により沈静化され、全共闘運動は終息していったのでした。
その理念や運動のスタイルは、一部住民運動などに引き継がれているわけですね。
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