みなさんで雑学しましょう!
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死者の住む冥界のことで、「よもつくに」ともいいます。
《古事記》ではイザナミノ命は、カグツチの神を生み、焼死した後、ここに至るといわれています。 沖縄のニライカナイと同様、海上の他界、あるいは罪や穢(けがれ)の集まるところとも考えられています。 日本神話に「イザナギノ命(みこと)が死んだ。イザナミノ命を追って黄泉国へ行き、そこで争い、イザナギノ命が逃げ帰り、黄泉津平坂の地で別れた。」とか、「女神イザナミノミコトを失った男神イザナギノミコトは、あきらめきれず黄泉の国まで行ったが、みにくい姿をみて逃げた。黄泉の国の軍勢に追われた男神は剱を打ち振って防がれたので、剱山という。」というのがあります。 現在、島根県の出雲が黄泉国と考えられています。 PR
昨日は、明治維新の指導者であった西郷隆盛(1827-1877)と、歌人であった与謝野晶子(1878-1942)の生まれた日でした。
西郷隆盛は、薩摩鹿児島藩の下級士族の出身でした。 通称を吉兵衛、吉之助といい、号は南洲でした。 藩主の島津斉彬(なりあきら)に取り立てられ、江戸詰となり、将軍継嗣問題で、一橋慶喜擁立運動に東奔西走しましたが、井伊直弼大老就任とともに始まる、安政の大獄で幕吏の追及を受けて、僧月照とともに帰藩しました。 しかし佐幕論に傾いていた鹿児島藩からも追われ、1858年に月照と投身自殺を図りましたが、助かって奄美(あまみ)大島に流されました。 1862年に許され、尊攘派(尊王攘夷(じょうい)運動)として動き出しましたが、島津久光に嫌われ、沖永良部(おきのえらぶ)島に流されました。 1864年に帰藩後は、禁門の変、第1次長州征伐には藩論を統一し、幕府側に立ったのですが、第2次長州征伐には反対し、討幕派へと転じました。 大久保利通などとともに、王政復古に働きかけ、戊辰戦争を主導し、征東軍の大総督参謀として勝海舟と会見し、江戸城を無血閉城させました。 明治政府では参議となって、廃藩置県を断行しましたが、征韓論に敗れて帰郷し、私学校を開き、西南戦争を起こし、敗れて城山で自刃しました。 波乱万丈の人生だったんですね。 与謝野晶子は、堺生まれで、旧姓は鳳(ほう)といいました。 堺女学校を卒業後、1900年に与謝野鉄幹の新詩社の社友となり、《明星》に短歌を発表しました。 翌年、処女歌集の《みだれ髪》を出して世の注目を集めました。 同年に鉄幹と結婚し、《明星》の中心的存在となりました。 初期の情熱的な歌風は、次第に唯美的・幻想的となって、《小扇》、《毒草》(鉄幹と共著)、《恋ごろも》(山川登美子らと共著)、《舞姫》などの歌集を出しました。 日露戦争中の反戦的な詩〈君死にたまふことなかれ〉も反響を呼びました。 また古典の現代語訳も試み、《新訳源氏物語》を刊行していました。 大正期には、広く女性問題、社会問題等の評論にも活躍し、《青鞜》運動を助けたり、母性保護論争に参加するなどしていたようです。
大相撲で、いろいろな色の「まわし」をしめていますが、デザインでヒョウ柄とか水玉模様なんかイキだと思いますが、どうなんでしょ?
「力士規定第4条」には『十両以上の関取資格者は、黒・紺・紫色系統の繻子(しゅす)の締め込みを使用し、 同色のさがりを使用すること』という規定があります。 しかし実際は、極端に奇抜なものでない限り、罰則はない様ですね。 上記のように、色は特に規定はないようですが、昔は黒ばかりだったようですね。 相撲がテレビで中継されるようになり、カラー化されるに伴って、テレビ映りの良い派手な色のまわしが使われるようになったようです。 派手な色のマワシとしては、オレンジ(曙)、金(輪島)、蛍光レモン(朝乃若)等がありますが、柄物は見たこと無いですもんね。 ちなみに11/27の記事で書いた千代の富士は、黒でしたね。 理事長も「これ以上ひどくなったら注意する」と発言しているようなので、豹柄は駄目なんでしょうね。 まぁ元来、「まわし」は神の前での正装の意味があるんですもんね・・・。
現在中学では不等式を習っていないので、不等号の式は関数の変域のときぐらいでしょうか?
その不等号、欧米では下に書く=が一本線になっています。 世界でも、数学記号の使用の歴史は浅く、形として+や=が出てくるのは15~16世紀くらいですが、計算式の中で普通に使われるようになったのは実は19世紀になってからです。 また数学記号は、それぞれの時代の人が考案し、一定期間定着して、やがてそれら全部が消えてしまい、また新たな記号が考案されるというものでした。 また記号の利用の仕方は文化圏や学派によっても異なっています。 フランスでは今日でも、÷のかわりに:を使うことが多く、ヨーロッパ大陸では小数点に , を使い桁の区切りに . を使うところがあります。 だから不等号も万国共通である理由はないわけです。 私立では不等式を習っていますが、公立では習っていません。 私立と公立の学力差が増すばかりです・・・。
かつて、東京の原宿から代々木公園までの日曜日の歩行者天国で、奇抜な無国籍ファッションで踊っていた若者の集団がいました。
70年代末~80年後半に、芸能人ではない、一般人のステージ衣装が注目された時期がありました。 79年夏から原宿歩行者天国では、奇抜なファッションに身を包み、ラジカセから流れるディスコ音楽や歌謡曲に合わせて、独自の振り付けで踊るツッパリ、暴走族の若者達が急増しました。 彼らが着ていたステージ衣装は、「ハーレムスーツ」と呼ばれていました。 その衣装の供給先が、1978年にオープンした「ブティック竹の子」であったところから、この名がついたといわれています。 それをマスコミが取り上げたことで、全国的な話題となりました。 1979年に現れ、1980年夏には約2000人が集まったといいます。 渋滞を理由に、1998年6月に歩行者天国が中止されて自然消滅しました。 僕も1985年に一度見に行ったことがありますが、人の多さに驚いたのを覚えています。 今でいうパラパラのように同じような動きをしていました。 今でもテレビでよく見かける、元一世風靡セピアの哀川翔や柳葉敏郎、柴田恭平も、もともとは竹の子族あがりだったといいます。 あのころは日本経済も上り調子でした。 ある意味良い時代だったのでしょうね。 ホコ天も消滅した今、一世風靡や竹の子族のようなパフォーマンスを見ることが出来なくなったのは、少々残念だと思うのは僕だけでしょうか・・・? |
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