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プラークとは歯垢(しこう)の意味で、プラークコントロールと歯垢をなくすことでも歯周病(歯槽膿漏)の治療法として、もっとも重要かつ基本的な考え方です。
ホルダーつきデンタルフロス
プラークコントロールを実践するには、まず正しい歯磨き(ブラッシング)の方法を身に付けることですよね。
プラークのつきやすいところ=磨き残しやすいところとの考えから、最近では、よく磨けているところとそうでないところをチェックできるレッドコート(赤い染色液)や、歯間ブラシ、デンタルフロスなど、さまざまな歯科器具が市販されていて、自宅で自分自身で管理ができるようになっています。

しかし、場合によっては、磨き方の指導や磨ける環境づくり、歯周病を悪化させないように噛合せを矯正するなど、歯科医師の手助けが必要な場合もあるようです。
また、フッ素塗布やキシリトールガムも、プラークコントロールに効果があります。

僕は特に歯並びが悪いため、歯磨きに10分かけています。
でも歯磨きに時間をかければ良いというわけでもなく、鏡を見ながら磨かないと、歯茎を痛めて逆効果になる場合もあります。
男で鏡は・・・と考えがちですが、今は鏡を見て身だしなみするのは恥ずかしいことではなくなっているので、鏡を有効活用しましょう。
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1883年の昨日、鹿鳴館の開館式が行われた日でした。
鹿鳴館
外務卿の井上馨による欧化政策の一環として、イギリス人コンドルの設計で1881年に着工し、1883年の今日落成した西洋館です。
現在の東京都内幸(うちさいわい)町にありました。
外国貴賓接待と上流社会の社交場として、園遊会や舞踏会などが行われ、いわゆる鹿鳴館時代を現出しました。
条約改正の失敗などで、1887年に井上馨は辞職し、鹿鳴館時代は終わりを告げました。

建物は1890年に華族会館となり、のち事務所などに使用され、1941年に取りこわされました。
1988年の今日、第58代横綱である千代の富士貢が、53連勝を達成した日でした。

千代の富士
北海道松前郡生まれで、本名は秋本貢といいます。
1970年9月に初土俵で、1975年9月に入幕しています。
何度も肩を脱臼(だっきゅう)して、幕内から幕下まで陥落しましたが、筋力トレーニングで克服し、1981年9月に横綱に昇進しました。
瞬発力を生かした一気の寄りと、上手投げを得意として、807勝253敗、優勝31回、通算1045勝、53連勝(1988年)など数々の記録を残しました。
1991年5月に引退後、協会が功労に対し「一代年寄千代の富士」を贈ろうとしましたが、これを断り、年寄陣幕を襲名しています。
1989年に国民栄誉賞を受賞し、現九重親方です。

強い横綱の代名詞はさほど多くはなく、その中に入るだけの強さがありました。
現横綱の朝青龍も強いので、特に文句はないのですが、早くの日本人横綱誕生が待ち遠しいものです。
次の横綱候補は白鵬か露鵬なのでしょうか。
日本人横綱がいなくなって久しいので、余計に待ち遠しい・・・。
棘皮(きょくひ)動物タコノマクラ科の一種のウニで、殻は強固で長さ12cm、幅10cm、高さ3cmくらいのものです。
本州中部~九州の外海に面した、浅海の岩礫(れき)底に住んでいますが、綺麗な砂浜であれば結構見うけられます。
変わった名前ですが、これはれっきとしたウニの仲間です。
なぜ、「タコノマクラ」と呼ばれるのかは、はっきりとはわかっていないらしいのですが、タコが上に乗っていた姿からそう呼ばれたという説があります。
タコノマクラ
褐色の短いとげが全面にあり、中央には花びらのような模様があり、腹面中央の口から放射溝が5本出ていて、肛門は背面中央にあります。
見た目はお菓子の「甘食」のようにも見え、なんともユーモラスな形です。
それもそのはず、似た仲間で「ウスカシパン」とか「ハスノハカシパン」というのものもあるくらいです。

ウニの仲間とはいっても、普通のウニとは違い食べられる部分はほとんど無くて、食用にはできないそうです。
普通のウニより大きそうなので、結構食べ応えありそうな恰好しているだけに残念です。
ちなみに僕は、お寿司やに行くと、必ずウニを注文します。
1970年の昨日、小説家であり劇作家でもあった三島由紀夫が、市ヶ谷の陸上自衛隊で割腹自殺した日で、命日です。
三島由紀夫
本名は平岡公威(きみたけ)といい、東京生まれで、東大の法学部を卒業後、官吏を辞して創作に専念し、長編《仮面の告白》(1949年)で文壇に出ました。
世の良識が不道徳、退廃とするものを、典雅な文体と構成の中に描いた作品が多いのが特徴です。

《愛の渇き》、《金閣寺》、《美徳のよろめき》、《宴のあと》や、戯曲《白蟻の巣》、《鹿鳴館》、《喜びの琴》、戯曲集《近代能楽集》などがあり、広く海外にも紹介されました。
また《憂国》、《剣》、《英霊の声》など憂国的心情からの小説があり、1968年に憲法改正を求める組織〈楯(たて)の会〉を結成し、1970年11月25日に東京市ヶ谷(市ヶ谷駐屯地)の自衛隊総監部を襲い、事成らず、割腹自殺しました。
バルコニーで自衛隊決起(=反乱)を促す演説をしましたが、自衛官達からは、昼食の時間なのに食事ができないと言う不満や総監を騙し討ちして人質に取った卑劣さへの反撥が強く、「三島ーっ、頭を冷やせー!!!」「なに考えてんだバカヤローっ!!!」といった野次や報道ヘリコプターの音にかき消されて、わずか7分で切り上げています。
三島由紀夫は、自衛官らに『諸君は武士だろう、武士ならば、自分を否定する憲法をどうして守るんだ』と絶叫していたようです。

三島由紀夫らは、戦後の象徴天皇制に否定的な見解を示していました。
特に、昭和天皇に対しては、ある時『反感を抱いている』と三島由紀夫は発言しているようです。
三島由紀夫に言わせれば、それは昭和天皇が【2・26事件の反乱将校らを厳重に処罰させたこと】、いわゆる人間宣言により、『神としての天皇のために死んだ』特攻隊隊員らを裏切ったこと、によるものです。
でも実際の自殺の原因は、自身の『老い』への恐怖であるみたいですね。
実際、三島由紀夫は、「自分が荷風みたいな老人になるところを想像できるか?」と友人に語っているようですから。

これが原因で、《豊饒の海》四部作が絶筆ままになってしまいました。


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