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昨日は、小説家である大江健三郎(1935-)さんの誕生日でした。
ノーベル文学賞受賞時の大江健三郎氏
愛媛県に生まれ、東大仏文科で渡辺一夫〔1901-1975〕に師事し、またサルトルに影響を受けました。
在学中に発表した《奇妙な仕事》(1957年)で注目され、卒業後《飼育》(1958年)で芥川賞を受賞しています。

戦後、文学の旗手として活躍し、現代の性や政治を取り上げた作品を著しました。
核兵器反対運動でも知られ、《ヒロシマ・ノート》(1965年)を発表し、一方で、《個人的な体験》(1964年)では、脳に障害を抱えた息子との共生を描いています。
これは後の創作を貫くテーマとなりました。

《万延元年のフットボール》(1967年)を境に、生地の村を神話的な共同体モデルとして捉えるようになり、《同時代ゲーム》(1979年)など、文化人類学の知見を援用し、手法的にはマルケスらのラテン・アメリカ文学とも共通する作品を発表しました。

1980年代以降は、武満徹の曲に想を得た短編連作《雨の木(レイン・ツリー)を聴く女たち》(1982年)、長編《懐かしい年への手紙》(1987年)などにより、テーマの成熟をみました。
常に時代と並走する姿勢と、小説の方法論の探求において一貫しています。
1993年―1995年に《燃えあがる緑の木》三部作を発表し、1994年にノーベル文学賞を受賞しました。
2005年、自身がひとりで選考委員を務める文学賞【大江健三郎賞】が講談社によって創設されました。
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昨日は、インドの政治家で、建国の父といわれたマハートマー・ガンディー(Mahatma(大きな魂))の命日でした。

マハートマー・ガンディー
グジャラートに生まれました。
両親は敬虔(けいけん)なヒンドゥー教徒で、幼時より宗教に親しみました。
13歳で同年のカストルバイと結婚し、1888年にイギリス留学し、弁護士の資格を取得して帰国しました。

1893年に商社の顧問弁護士となり、南アフリカに渡っています。
そこでインド人の差別虐待に抗議し、非暴力主義に立つ不殺生(アヒンサー)を基調とするガンディー主義に到達しました。
ことに1913年ナタール州からトランスバール州へ敢行した【サティヤーグラハ行進】は、全世界の共感を呼びました。

1915年までの22年間を、ほとんど南アフリカで過ごし、帰国後は、労働運動やインド独立運動に従事し、国民会議派を強化しました。
1919年には、ローラット法に反対して、最初のサティヤーグラハ闘争を指導しました。
以後、1930年の塩専売法反対のための【塩の行進】等を指導し、しばしば投獄されました。

独立後も、イスラム教徒とヒンドゥー教徒の融和に挺身(ていしん)しましたが、デリーで狂信的ヒンドゥー教徒に暗殺されました。
著書に《自叙伝》、《非暴力から生じる力》等があります。
いろはにほへと ちりぬるを   (色は匂えど散りぬるを)
わかよたれそ  つねならむ   (我が世誰そ常ならむ)
うゐのおくやま けふこえて   (有為の奥山今日越えて)
あさきゆめみし えひもせす   (浅き夢見じ酔ひもせず)
四つ葉
みなさんもご存知のいろはですが・・・(みなさん聞いた事はありますよね?)、

とりなきこえす ゆめさませ   (鳥啼く声す夢さませ)
みよあけわたる ひんかしを   (見よ明けわたる東を)
そらいろはえて おきつへに   (空色映えて沖つ辺に)
ほふねむねゐぬ もやのうち   (帆舟群れゐぬ靄の内)

こんなのもあるようで・・・(なんとなく聞いた事はありますが)、

ゆきのふるさと およめいり   (雪の故郷お嫁入り)
ゐなかあせみち うまつれて   (田舎畦道馬連れて)
わらやねをぬけ たんほこえ   (藁屋根を抜け田圃越え)
はすえにしろく ひもそへむ   (葉末に白く陽も添へむ)

こんなん聞いたことあれへんわぁ・・・。
みなさんはどうですか?
文字通り、経費節約や風俗改正を目的として葬儀を簡素化することで、その当時の命令を薄葬令といっていました。
豪華だったころの前方後円墳(仁徳天皇陵)
中国では古くから皇帝の遺言などとして公布されましたが、日本では大化の改新の際の持統天皇が著名でしょうか。

薄葬思想をひろげた持統天皇は、自分の葬儀に対して「政務は常のごとくにして喪葬のことはつとめて倹約に従え」といっていました。
薄葬思想は、中国の儒教的な徳治主義のながれをくみ、葬送に多大な財や労力を費やさず、一般庶民に過重な負担をかけないようにする考えです。
最初の薄葬令は、大化の改新の時代で646年に発令されています。
以前までは天皇の葬式は国をあげての行事で、膨大なエネルギーをついやしていました。
しかし、そのたびにかり出される民衆の生活は貧困を極めていました。
持統天皇はその窮状を憂い、薄葬令を具体化したのでした。

しかしこれは、公民を私用に動員するのを禁ずるのが目的で、薄葬令というより公葬令とみるべきだとの説もあるようですが・・・。

そして現在、わたしたちは深刻なデフレ時代に突入しています。
残された遺族の負担を察すれば、持統天皇の母なる思いをひきつぎ、薄葬思想をひろめる時期にきているのではないでしょうか。
何事も倹約すればいいというわけではないですが、豪華にして故人の貯めた財産を散財しなくても良いわけですし・・・。
都会の住民が農山村に滞在し、自然や文化を体験する旅行のことです。
緑
ドイツ、フランス、英国などのヨーロッパ諸国で1970年代以降に普及し、都市と農村の交流、農村地域の収入増加などに成果を上げています。

日本では、特に中山間地域の活性化策として、農林水産省が積極的に取り組み、1995年4月には〈農山漁村滞在型余暇活動促進法〉が施行されました。
特に、農作業などを体験できる、体験民宿の整備に重点が置かれ、同法に基づく登録民宿は1997年12月までに851件に達したそうです。

市民農園の実施、朝市の開催、特産物を使ったレストラン、農産物直売所や体験工房の設置など、実施されている基盤整備の内容は多彩です。

昨年の9月に、新しく出来た鉄道会社の駅で、街を活性化するのと同時に、緑化運動で緑を減らさない方向で、緑化強化運動の団体が、ブースを開いていました。
関東では、農家が減っているので、こういう方向でもいいから、みんなに農林水産について、知ってもらうのはいいことだと思います。
これをもっと展開して、旅行気分で楽しめるイベントに期待したいです。


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