忍者ブログ
みなさんで雑学しましょう!
[11] [10] [9] [8] [7] [6] [5] [4] [3] [2] [1]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

昨日、スペインの画家であったパブロ・ピカソ(1881-1973)の生まれた日でした。
パブロ・ピカソ
めまぐるしい様式の変化をくり返したことから、「変貌の画家」と呼ばれています。
アンダルシア地方のマラガ生まれですが、ピカソの本名はとても長いということを聞いたことがあるかもしれません。
生まれ故郷であるスペインのマラガ市役所にある出生届には、『パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・クリスピン・クリスピアノ・デ・ラ・サンテシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ』と書かれているそうで、先祖の名前や神聖な名前をつなげて名づけられているのです。
実は『ピカソ』という名字は、母方の名字です。
父方の名字である『ルイス』は、ピカソが生まれたマラガでは「よくある名字」だったので、途中でピカソ姓を名乗るようになりました。

1901年にパリに出て、ロートレックの影響下に、貧しい人びとの生活を青い色調で描く「青の時代」を皮切りに、1905年のオランダ旅行後「ばら色の時代」に移りました。
のちアフリカの黒人彫刻の造形に興味をもち、1907年に《アビニョンの娘たち》を描いて、キュビスムを創始しました。
ゲルニカ
1920年前後に、一時古典的写実に戻りましたが、1925年ごろシュルレアリスムの影響を受け、特異なデフォルメによる彫塑的表現を試みる「メタモルフォーズの時代」に入ります。
以後、各種の表現方法を取り入れて、自由な造形に進みました。
1937年には反戦的大作《ゲルニカ》を発表し、パリのレジスタンス運動の闘士と交わり、戦後共産党に入党しました。
次いで、ニースに近いアンティーブで、軽い筆触により《笛を吹く牧神》等を描き、石版画、彫刻、陶器等も制作しました。
最晩年には、大量の「画家とモデル」の連作を描きました。
20世紀美術を代表する一人として、与えた影響は極めて大きいものだったでしょう。

そういえば、かのアンソニー・ホプキンスの演じたピカソを観た事がありますが、彼の演技力があるせいか、ピカソがこういう人だったのかと、分かりやすい映画でした。
PR

コメント


コメントフォーム
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード
  Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字


トラックバック
この記事にトラックバックする:


忍者ブログ [PR]
カレンダー
03 2025/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
カテゴリー
フリーエリア
最新CM
最新記事
(04/13)
(04/12)
(04/11)
(04/11)
(04/10)
最新TB
プロフィール
HN:
bakonen666
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
最古記事
(10/20)
(10/21)
(10/23)
(10/24)
(10/25)
フリーエリア
カウンター