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昨日は、俳優である高倉健(1931-)さんの誕生日でした。
高倉健
本名は小田敏正さんといいます。
あるファンサイトには、小田剛一郎とも書いてありましたが・・・。
ある意味、謎にされているのでしょうか。

福岡県生まれで、明治大を卒業後、1955年に東映第2期ニューフェースとなり、1956年に《電光空手打ち》でデビューしています。
深作欣二監督の《狼と豚と人間》(1964年)などに出演したあと、《網走番外地》(1965年)で主演になり、義をもって悪を制する【辛抱立役】で東映仁侠映画路線の看板俳優となりました。

その後、加藤泰監督の《緋牡丹博徒・花札勝負》(1969年)、《昭和残侠伝・死んで貰います》(1970年)などに出演していました。
1976年に東映退社後は、山田洋次監督の《幸福の黄色いハンカチ》(1977年)、倉本聡脚本の《駅STATION》(1981年)、向田邦子原作の《あ・うん》(1989年)などで情感のある役柄を好演しました。

「不器用ですから」の台詞が代名詞になるほど、無骨で無口なイメージがありますが、実際の彼は非常におしゃべりなんだそうです。
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昨日は、1763年に七年戦争が終わり、1877年に西南戦争が始まった日でした。

フリードリヒ2世
七年戦争は、1756年―1763年にオーストリア継承戦争による、失地回復を図るオーストリアのマリア・テレジアが、フランス・ロシアの援助を得て、そのライバルたるプロイセンおよびその同盟国英国と行った戦争で、植民地争奪をめぐって行われたイギリスとフランスの戦い(フレンチ・インディアン戦争)もその一局面です。
プロイセンは、フリードリヒ2世の健闘で勝利し、そのシュレジエン領有が確認されました。
この際のフランス・オーストリアの同盟は、ハプスブルク家対ブルボン家という伝統的対立を破ったもので、ヨーロッパの外交革命と呼ばれています。
マリア=テレジア
ただ戦争自体、戦争が戦争を呼び、皮肉な結果になることも多々あります。
ある意味、フリードリヒ2世は幸運が続いただけ、という見方をする人もいますが、「戦争」というもの、幸運の女神が微笑まなければ勝てないものだと思います。

西南戦争は、1877年に鹿児島士族が西郷隆盛を擁立して、蜂起(ほうき)した反政府反乱で、征韓論に敗れて下野した西郷は、鹿児島に私学校を設立しました。
当時、鹿児島士族は政府の旧体制解体化政策に反対し、県令大山綱良も私学校を積極的に支持し、一種の独立国的士族支配体制が続いていました。
1876年の神風連の乱や萩の乱・秋月の乱を鎮圧した政府は、鹿児島の情勢を警戒し、1877年2月に鹿児島の火薬局・造船所の爆薬・兵器などを大阪に移転しようとしていました。
西南戦争当時のものとみられる拳銃
これに対して士族の不満は爆発し、西郷を擁した私学校生徒と九州各地の士族約2万5000が、熊本鎮台を攻撃しました。
鎮台兵は、司令長官谷干城(たにたてき)を中心に50日間籠城(ろうじょう)しました。
政府支援軍の田原坂(たばるざか)戦勝を経て、9月24日の鹿児島城山総攻撃により、西郷以下桐野利秋、村田新八らは戦死または自刃しました。
保守的不平士族の最大かつ最後の反政府反乱で、日本最後の内戦となったのでした。
内戦もそうですが、戦争そのものはなくすべきですが、いまだに内戦が続いている国はあります。
文化が違う、考え方が違うといってしまえばそれまでですが、近い将来、世界がまとまることを祈るしかないんでしょうかね・・・。
誰もが知っているドラえもんは、高性能エネルギー炉というものを持っています。

ドラえもん
そこで食べたもの全てが、完全にエネルギー化されているのです。
ですから、トイレへは行かないはずです。

ちなみにドラえもんは、原子力基本法違反です。
政府の認可がないと、原子炉使用は禁止のはずです。(笑)
タケコプターなどは航空法違反、ショックガンなどは銃刀法違反、どこでもドアで他人の家に行くのは住居不法侵入罪になります。

前述のトイレの話に戻して、てんとうむしコミックス『ドラえもん37巻』の「しかしユーレイはでた!」では、トイレに行く場面がかかれています。
矛盾があるような・・・。
4巻の「メロディーガス」では、ドラえもんがおならをする場面がかかれています。
ドラえもんは汗もかくし、ゲップもします。
ロボットではなかったのでしょうか・・・。
今日はちょっと汚い話になりますが・・・。
プラットフォーム・シューズ
中世ヨーロッパ(とくにフランスあたり)では、糞尿を容器にため、それを窓から捨てる習慣がありました。
おかげで路上は『糞尿だらけ』ということになります。
それを踏まないために、ハイヒールという履物が作られたんですねぇ。
当時は「ハイヒール」ではなく、「プラットフォーム・シューズ」と呼ばれていました。
紀元前400年代にも、アテネで、背を高く見せるハイヒールが遊女間に流行していたようで、これは男性も履いていたといわれています。
ちょっと前に流行った、厚底サンダルやブーツに近いものだったようです。

日傘
上から降ってくる、糞尿を避けるために作られたのが、今でいう日傘です・・・。
現在では、涼しさ、日よけ(日焼けを防ぐ)、紫外線防止、そして「おしゃれ」感覚で使われています。

ところかわればじゃないですが、時代が変わって使い方が変わったのですね。
昨日は、漫画家の手塚治虫(1928-1989)氏の命日でした。
手塚治虫
本名はただの治と書きます。
大阪府豊中市の生まれで、5歳で兵庫県宝塚市に移り、漫画と昆虫採集に熱中していました。
1946年に4コマ漫画《マアチャンの日記帳》でデビュー後、1947年に単行本《新宝島》(酒井七馬原作)がベストセラーとなりました。
続く《ロスト・ワールド》などによって、映画的手法を取り入れた斬新なストーリー漫画を作り上げ、《ジャングル大帝》などで人気作家となりました。
アトム
1951年に大阪大付属医学専門部を卒業後、1952年に上京し、《鉄腕アトム》、《リボンの騎士》などを連載しました。
1962年に虫プロを設立し、日本初のテレビ・アニメである《鉄腕アトム》をはじめとするアニメーション映画を発表しました。
1967年には漫画雑誌《COM》を創刊して、ライフ・ワーク《火の鳥》(1954年―)連載のほか、若手漫画家に発表の場を与えていました。

その後も《ブッダ》、《ブラック・ジャック》、《三つ目が通る》、《アドルフに告ぐ》などを手がけ、《ネオ・ファウスト》他を連載中に亡くなってしまいました。
善と悪、ヒューマニズムとニヒリズムの相克を描き、現代漫画の可能性を開き続けました。
《手塚治虫漫画全集》のほか、宝塚市に手塚治虫記念館があります。


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