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  <title>こんなんどう？</title>
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  <description>みなさんで雑学しましょう！</description>
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    <title>間宮林蔵</title>
    <description>
    <![CDATA[<a href="http://ameblo.jp/user_images/a2/97/10005898385.jpg" target="_blank"><img alt="間宮林蔵" src="http://ameblo.jp/user_images/a2/97/10005898385_s.jpg" align="right" border="0" /></a>今日は、[1808年]に間宮林蔵が樺太探検に出発した日でした。<br />
<br />
江戸後期の北方探検家で、名は倫宗(ともむね)といいます。<br />
常陸(ひたち)の農民の出身で、1790年頃に江戸に出て、地理学を学びました。<br />
<br />
1799年に、初めて蝦夷(えぞ)地に渡り、翌1800年には蝦夷地御用雇となり、蝦夷地測量中の伊能忠敬に測量術を学び、蝦夷地や択捉(えとろふ)島を測量しました。<br />
1808年に幕命により、松田伝十郎と樺太(からふと)（サハリン）を探検し、翌年シベリアに渡り、アムール川の下流のデレンに至りました。<br />
この間、1832年に、樺太が島であることを発見した間宮林蔵を讃えて、シーボルトが樺太・大陸間の海峡を、マミア海峡と命名しました。<br />
<br />
晩年は幕府の隠密として働き、シーボルト事件を幕府に密告し、それに関わった当時の上司である、天文方高橋景保を捕縛させて獄中死に至らしめた、と言われています。<br />
しかし、一方で尚歯会と好意的な親交を持ち、シーボルト本人とも接触したとする説もあり、この一件に関しては、その真偽において、更なる資料の発見が待たれます。]]>
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    <pubDate>Fri, 13 Apr 2007 08:59:03 GMT</pubDate>
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    <title>十字軍</title>
    <description>
    <![CDATA[1204年の今日、十字軍がコンスタンティノープルを占領した日でした。<br />
<br />
十字軍とは、広義には中世ヨーロッパにおける、キリスト教徒の異教徒・異端者との戦いで、狭義には11―13世紀にヨーロッパ諸国民が、キリスト教発祥の聖地パレスティナをセルジューク・トルコの占領下から解放するとして行った遠征をさします。<br />
<a href="http://stat.ameba.jp/user_images/b3/91/10019454681.jpg" target="_blank"><img style="CLEAR: both; FLOAT: right" height="322" alt="十字軍の遠征" src="http://stat.ameba.jp/user_images/b3/91/10019454681_s.jpg" width="220" border="0" /></a><br />
1095年に教皇ウルバヌス２世は、クレルモン公会議でこの遠征を宣言し、十字架を戦士の標識と定めました。<br />
<br />
第１回（1096年―1099年）は、隠者ペトルスの巡礼群を最初とし、次いで教皇代理アデマール司教の統率下にゴドフロア・ド・ブイヨンなどフランス騎士軍が遠征しました。<br />
小アジアにアンティオキア公領、エデッサ伯領、1099年にエルサレム占領に成功してエルサレム王国を建設、1102年にはトリポリ伯領を建設しました。<br />
これらを聖地四国といいます。<br />
このときテンプル騎士団、ヨハネ騎士団が成立しました。<br />
<br />
第２回（1147年―1149年）は、聖ベルナールのすすめで、フランス国王ルイ７世、神聖ローマ皇帝コンラート３世がダマスクスを攻めましたが失敗しました。<br />
<br />
第３回（1189年―1192年）は、1187年にイスラム側のサラーフ・アッディーンがエルサレムを占領したのに対し、リチャード１世、フリードリヒ１世、フィリップ２世のイギリス・ドイツ・フランス３君主が出陣し、アッカー（アッコ）を臨時首府として、エルサレム王国を再建しました。<br />
しかし、聖地奪回には失敗し、ドイツ騎士修道会が成立しました。<br />
<br />
第４回（1202年―1204年）は聖地へは向かわず、ベネチア商人のすすめでハンガリー、ビザンティン帝国を攻撃し、コンスタンティノープルを占領してラテン帝国を建設しました。<br />
<br />
第５回（1217年―1221年）は、フランス貴族ブリエンヌらがエジプトのアイユーブ朝を攻めましたが、敗れて全軍捕虜となりました。<br />
<br />
第６回（1228年―1229年）は、神聖ローマ皇帝フリードリヒ２世が外交交渉で一時エルサレムを回復しましたが、間もなくホラズム・トルコに奪回されました。<br />
<br />
第７回（1248年―1254年）は、フランス王ルイ９世が指揮してエジプトを攻めましたが、王自身が捕虜となってしまいました。<br />
<br />
第８回（1270年）もルイ９世が指揮してチュニスを攻撃しましたが、王の病死で失敗し、1291年にアッカー（アッコ）が陥落して聖地諸国は全滅しました。<br />
<br />
この間には少年十字軍（1212年）と呼ばれるものもあり、14世紀以後も十字軍は続けられましたが、オスマン帝国の興隆にはばまれ、全面的に失敗に終わりました。<br />
しかし十字軍の結果、教皇権の失墜と封建貴族の没落により王権が伸張し、東方貿易の繁栄によりアラビア文化・科学が伝播し、西欧諸都市の勃興(ぼっこう)をもたらしました。<br />
<br />
なお、13世紀初頭南フランスのアルビジョア派を討伐したものを、アルビジョア十字軍と呼ぶこともあります。]]>
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    <pubDate>Thu, 12 Apr 2007 11:34:23 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>ユトレヒト条約</title>
    <description>
    <![CDATA[1713年の今日、ユトレヒト条約が調印された日でもありました。<br />
<a href="http://stat.ameba.jp/user_images/3d/ec/10019375130.png" target="_blank"><img style="CLEAR: both; FLOAT: right" height="235" alt="ユトレヒト州の位置" src="http://stat.ameba.jp/user_images/3d/ec/10019375130_s.png" width="200" border="0" /></a><br />
スペイン継承戦争終結のため、フランス・スペインがイギリスおよびその同盟国との間に、オランダのユトレヒトで結んだ条約です。<br />
<br />
フランスと合同しないことを条件に、スペインの王位はルイ14世の孫フェリペ５世に認められました。<br />
スペイン領土からジブラルタル、メノルカ、北米植民地の一部がイギリスに譲渡され、海上支配で英国の優位が確定して、ルイ14世の影響力は弱まりました。<br />
<br />
1714年のラシュタット条約、バーデン条約によって補完されました。<br />
ラシュタット条約とは、ドイツのラシュタット（Rastatt）で結ばれた条約ですが、ユトレヒト条約を補足するもので、スペインは王位を承認されましたが、南ネーデルラントをオーストリアに譲渡しました。]]>
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    <pubDate>Wed, 11 Apr 2007 04:50:49 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>武田鉄矢</title>
    <description>
    <![CDATA[<a href="http://ameblo.jp/user_images/02/0f/10005861357.jpg" target="_blank"><img alt="武田鉄矢" src="http://ameblo.jp/user_images/02/0f/10005861357_s.jpg" align="right" border="0" /></a>今日は、福岡県福岡市博多区出身の歌手・俳優として有名な武田鉄矢さんの誕生日です。<br />
<br />
武田鉄矢さんといえば、海援隊としての「あんたが大将（1976）」、「思えば遠くへ来たもんだ（1978）」、「贈る言葉（1979）」が有名ですが、海援隊を結成するずいぶん前に、高校時代に彼女がいたらしいのですが、佐賀市の神野公園でフラれたみたいです。<br />
<br />
1982年にいったん解散した海援隊は、1993年4月10日の「ドリームライブ in 福岡ドーム」のために、1日だけ再結成されましたが、翌1994年に、本格的にグループとしての活動を再開しました。<br />
<br />
「海援隊」という名前からも分かる通り、大の坂本龍馬ファンで、これは高校時代に読んだ、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」の影響であるといわれています。<br />
<br />
俳優としては、山田洋次監督の映画、『幸せの黄色いハンカチ』（1977年、松竹）がデビュー作で、日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞する演技をみせました。<br />
テレビドラマでは、1979年にスタートした、『3年B組金八先生』（TBS）の坂本金八役が、一番の当たり役となり、シリーズ化されています。<br />
その他にも、「刑事物語」シリーズでの片山刑事役や、「101回目のプロポーズ」でのさえない中年・星野達郎役、「太平記」での楠木正成役など、印象深い役を数多く演じていました。<br />
<br />
松任谷由実さんの曲が大変気に障（さわ）るらしく、昔からよくテレビで、曲の悪口を言っていたみたいです。<br />
また、西田敏行さんとは、「見ごろ食べごろ笑いごろ」でコント競演をして以来、家族ぐるみの付き合いをしているらしいです。]]>
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    <pubDate>Wed, 11 Apr 2007 02:56:49 GMT</pubDate>
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    <title>今上天皇</title>
    <description>
    <![CDATA[<a href="http://ameblo.jp/user_images/5e/83/10005841362.jpg" target="_blank"><img alt="天皇" src="http://ameblo.jp/user_images/5e/83/10005841362_s.jpg" align="right" border="0" /></a>今日は、[1959年]に明仁皇太子（当時)が、正田美智子さまと結婚した日です。<br />
<br />
第125代に数えられる天皇が、今上天皇です。<br />
昭和天皇の第１皇子として、12月23日誕生しました。<br />
幼名は継宮(つぐのみや)といいます。<br />
<br />
1952年に学習院高等科を卒業し、同年に成年式と立太子礼をあげています。<br />
翌1953年に英国女王戴冠式に列席しました。<br />
1959年に正田美智子さま〔1934-〕と成婚しました。<br />
<br />
1960年に浩宮徳仁(ひろのみやなるひと)、1965年に礼宮文仁(あやのみやふみひと)親王、1969年に紀宮清子(のりのみやさやこ)内親王が誕生しました。<br />
<br />
昭和天皇ご逝去と同日の1989年１月７日に皇位を継承しました。<br />
<br />
もともと「今上」は、「いまのうへ」というやまとことばを漢字で書いたものです。<br />
天皇の敬称は、諸国の国王・女王と同様に「陛下」が使われています（皇室典範で規定）が、今上天皇陛下とは言わず、今上陛下、天皇陛下もしくは陛下、現在では殆ど使われていませんが、帝、とのみ呼ばれています。<br />
また、明治天皇、大正天皇、昭和天皇などの呼称は、それ自体に敬意が込められた追号であるため、昭和天皇陛下とも言いません。]]>
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    <pubDate>Tue, 10 Apr 2007 05:51:27 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>小牧・長久手の戦い</title>
    <description>
    <![CDATA[<a href="http://stat.ameba.jp/user_images/8d/8e/10019263289.gif" target="_blank"><img style="CLEAR: both; FLOAT: right" height="198" alt="陣" src="http://stat.ameba.jp/user_images/8d/8e/10019263289_s.gif" width="141" border="0" /></a><br />
1584年の今日、長久手の戦い（小牧・長久手の戦い）が起こった日でした。<br />
<br />
1584年に尾張(おわり)の小牧・長久手で戦われた、豊臣秀吉と徳川家康・織田信雄(のぶかつ)の戦いです。<br />
織田信長の死後、秀吉の勢力増大に対抗し、家康が信長の子、信雄を味方にして起こしました。<br />
戦いは、秀吉方の部将池田信輝（勝入）・森長可(ながよし)が長久手に敗死するなどしたのですが、大勢は動かず膠着(こうちゃく)状態となり和睦したのでした。]]>
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    <link>https://bakonen666.blog.shinobi.jp/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/%E5%B0%8F%E7%89%A7%E3%83%BB%E9%95%B7%E4%B9%85%E6%89%8B%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84</link>
    <pubDate>Mon, 09 Apr 2007 10:38:43 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>ラファエロ</title>
    <description>
    <![CDATA[<a href="http://ameblo.jp/user_images/0d/aa/10005735122.jpg" target="_blank"><img alt="ラファエロ" src="http://ameblo.jp/user_images/0d/aa/10005735122_s.jpg" align="right" border="0" /></a>今日は、イタリア盛期ルネサンス、フィレンツェ派の画家であった、ラファエロ・サンティの誕生日でもあり、命日でもあります。<br />
自分の誕生日が命日でもあるなんて・・・。<br />
<br />
ウルビノで生まれ、建築家でもあります。<br />
初め、ペルジーノに学び、その抒情的作風にひかれましたが、１５０４年にフィレンツェに出て、ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ビンチなどの影響を受けながら、写実的な明暗法、肉付法を基礎としつつ、理想美を追求して、古典主義芸術を完成しました。<br />
<br />
１５０８年にローマに出て、教皇ユリウス２世の厚遇を受け、バチカン宮殿の〈署名の間〉の壁面に、《聖体の論議》、《アテナイの学堂》（１５０８年―１５１１年）を制作し、次いで〈ヘリオドロスの間〉の装飾に従事しました。<br />
また、〈火災の間〉に《ボルゴの火災》などを描いています（１５１４年―１５１５年）。<br />
これら壁画の大作のほかに、ラファエロ芸術の特色をよく示すものとして、《システィナの聖母》（１５１３年ころ、ドレスデン絵画館蔵）、《グランドゥーカの聖母》（１５０４年、フィレンツェ、ピッティ館蔵）等多くの聖母像があり、肖像画にも傑作を残しています。<br />
今回はその肖像画を添付しました。<br />
<br />
建築家としては、１５１４年にブラマンテの死後、建築監督としてサン・ピエトロ大聖堂の建築に従事しました。<br />
盛期ルネサンスの絵画理念を、最も純粋に表現した芸術家として、後世に大きな影響を及ぼしました。]]>
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    <category>未選択</category>
    <link>https://bakonen666.blog.shinobi.jp/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A8%E3%83%AD</link>
    <pubDate>Fri, 06 Apr 2007 05:06:27 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>四五天安門事件</title>
    <description>
    <![CDATA[1976年の今日、中国で四五天安門事件が起こった日でもありました。<br />
<a href="http://stat.ameba.jp/user_images/c0/be/10018993612.jpg" target="_blank"><img style="CLEAR: both; FLOAT: right" height="152" alt="天安門広場" src="http://stat.ameba.jp/user_images/c0/be/10018993612_s.jpg" width="220" border="0" /></a><br />
1989年6月4日に、中華人民共和国の北京市にある天安門広場に集結していたデモ隊が「人民解放軍」によって鎮圧された事件のことを「第二次天安門事件」とも呼ばれていますが、ただ単に「天安門事件」といった場合は第二次の物を指すことが多いため、第一次のほうは「四五天安門事件」といっています。<br />
<br />
1976年４月５日、中国・北京の天安門広場において、周恩来を追悼するため集まった民衆と北京市当局との間で起きた騒擾事件を「第一次天安門事件」、若しくは、「四・五運動」とも呼ばれ民主化運動の原点とされました。<br />
1989年４月17日、天安門広場で胡耀邦(こようほう)を追悼する学生集会に端を発し、その後市民も参加し、天安門広場を中心に非暴力による民主化要求運動が展開されました。<br />
しかし、６月３日～４日、人民解放軍の戒厳部隊が戦車と銃で学生・市民を制圧しました。<br />
これによる死者は2000人ともいわれ、負傷者は３万人に達したといわれています（【血の日曜日】事件）。<br />
<br />
民主化を求める学生・市民に対する当局の制圧は、国際的な非難を受けましたが、李鵬(りほう)首相の主導により、事件後もデモ参加者の摘発・裁判が続けられるようになりました。<br />
また、この事件に関連して趙紫陽総書記が解任され、代わって江沢民が選出されました。]]>
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    <link>https://bakonen666.blog.shinobi.jp/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/%E5%9B%9B%E4%BA%94%E5%A4%A9%E5%AE%89%E9%96%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6</link>
    <pubDate>Thu, 05 Apr 2007 09:04:02 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>ダグラス・マッカーサー</title>
    <description>
    <![CDATA[<a href="http://ameblo.jp/user_images/55/68/10005716032.jpg" target="_blank"><img alt="マッカーサー" src="http://ameblo.jp/user_images/55/68/10005716032_s.jpg" align="right" border="0" /></a>アメリカの軍人であった、ダグラス・マッカーサーの命日です。<br />
<br />
１９３０年に陸軍大将となり、極東通として知られ、１９３５年にフィリピン軍事顧問となりました。<br />
<br />
１９４１年１２月８日に開戦した、太平洋戦争（大日本帝国の呼称大東亜戦争）中、南西太平洋方面の連合国軍総司令官として、東南アジアで日本軍と戦いましたが、このとき、大日本帝国陸軍のマニラ侵攻により、フィリピンより撤退を余儀なくされた際、<br />
「I shall return 私は（天の意思により）必ず戻って来る（助動詞に意思を表す will ではなく自然の摂理である　shall　をマッカーサーは選んだとされています。）」<br />
と言い残して、コレヒドール島から、家族や幕僚達と共に、魚雷艇でミンダナオ島に脱出、パイナップル畑の秘密飛行場からB-17 (爆撃機)でオーストラリアに飛び立ちました。<br />
この敵前逃亡は、彼の軍歴の数少ない失態となったようです。<br />
<br />
彼は自尊心を大きく傷つけられる結果となり、アイシャルリターンは、フィリピンのアメリカ軍の中でも流行語となり、<br />
「便所に行って来るぞアイシャルリターン」<br />
などと使われたそうです。<br />
部下を見捨てた、マッカーサーへの皮肉の意味もあったのですが・・・。<br />
<br />
１９４２年に連合国軍南西太平洋方面司令官となり、対日反攻を指揮しました。<br />
１９４５年に日本占領連合国最高司令官となり、占領施策の実施に当たりました。<br />
１９５０年に朝鮮戦争勃発(ぼっぱつ)で、国連軍最高司令官を兼ね、作戦を指揮しましたが、中国本土爆撃など強硬策を主張したため、１９５１年に解任されました。<br />
<br />
解任のときのスピーチ<br />
「老兵は死なず、ただ立ち去るのみ」<br />
はあまりにも有名です。]]>
    </description>
    <category>未選択</category>
    <link>https://bakonen666.blog.shinobi.jp/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/%E3%83%80%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC</link>
    <pubDate>Thu, 05 Apr 2007 06:34:25 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>復活祭</title>
    <description>
    <![CDATA[<a href="http://ameblo.jp/user_images/72/2e/10005690375.jpg" target="_blank"><img alt="卵" src="http://ameblo.jp/user_images/72/2e/10005690375_s.jpg" align="right" border="0" /></a>今日は、日本人にはあまり関係無いですが、復活祭の日です。<br />
<br />
英語ではイースターEasterといいます。<br />
<br />
キリストが死んで、３日目に復活したことを祝う祭りですが、教会暦の〈移動祝日〉で、春分後の最初の満月のあとの、日曜日（イースター・サンデー）に祝うそうです。<br />
<br />
この前後を、復活祭の聖節と呼び、告解、聖体拝領が信者の義務とされるそうです。<br />
<br />
また、欧米では彩色した卵を飾って、食べる風習があるようです。]]>
    </description>
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    <pubDate>Wed, 04 Apr 2007 06:52:58 GMT</pubDate>
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